【驚愕】今の若者は知らないであろう、本当に怖かった頃のダウンタウン。そのエピソードが怖すぎる・・・
今も第一線で走り続けるダウンタウン
吉本興業が運営するタレント養成所・NSC(吉本総合芸能学院)の第一期生(1982年入学)であるお笑いコンビ・ダウンタウン。
在学中からなんば花月に特別出演するなど、異例の早さで頭角を現しました。1985年に紳助・竜介が解散する際には、島田紳助が
「阪神・巨人やサブロー・シロー、ダウンタウンには勝てない」
引用元: ja.wikipedia.org/wiki/ダウンタウン_(お笑いコンビ)
と、当時無名ながら既にその実力を認める発言をしていました。
1986年に心斎橋筋2丁目劇場オープンで人気が急上昇、1988年には『夢で逢えたら』で東京進出し、翌年には『笑っていいとも!』のレギュラーになり、その後もずっと第一線で活躍を続けています。
かつてのダウンタウンは怖かった!?
今は様々な年齢・分野の芸能人やスポーツ選手、文化人などと絡むことが多くなったダウンタウン。
かつて、主に後輩芸人とお笑い番組に出演していた頃は、とにかく「尖っていた」「怖かった」「チンピラ」「とてつもなく殺気立っていた」という印象を持つ人が多かったとか。
YOU「目が合ったら殺される」
今でこそダウンタウンとの共演が多いYOUは、恐怖体験を持つ一人です。
1990年、『MBSヤングタウン』でダウンタウン担当の木曜レギュラーアシスタントとして初共演をした時のこと。
アシスタントとしての初登場回であるにも関わらず、番組開始からしばらく紹介されず無視され続けたといいます。
「自己紹介していいですか?」と割り込むと、浜田雅功は舌打ちして「したらええやん!」とキレ気味でなんとか自己紹介はさせてもらえました。
ところが、その後もガン無視状態は2か月続きました。
「当時は目が合っただけで、殺されると思うぐらい怖かった」
引用元: www.excite.co.jp/News/90s/20160331/E1456724118370.html
と当時を振り返りますが、毎週木曜になると血尿が出たとか・・・
その後は話ができるようになり、仲間として認められたおかげで『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラーとして呼ばれました。それが人生のターニングポイントになったそうです。
しかし『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコント撮影現場でも、その恐ろしさは感じていたといいます。
「ダウンタウンはコントを絶対に1回しかやらない。演者の動きを撮れてないカメラマンさんは次の週には居なかった」
引用元: www.excite.co.jp/News/90s/20160331/E1456724118370.html
そんなシビアな現場で鍛えられたから、今の自分があるとも言います。
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