妻「お義母さんと買い物してくる。娘(6ヶ月)を見てて」俺「おk」⇒ 妻と母の乗った車がトラックに潰されて・・・

妻「お義母さんと買い物してくる。娘(6ヶ月)を見てて」俺「おk」⇒ 妻と母の乗った車がトラックに潰されて・・・

都会でもないし、田舎でもない、なーんにも面白いことの無い街に俺は生まれたわけよ
生まれたときにはもう父親はいなかったのね 死別とかじゃなくて妊娠判明した次の日には姿をくらましてたらしい

母親は産休を早めに切り上げ、すぐに働きに出た
母方には親類がいなかった、理由は教えてもらってない。
それでも父方の祖父母がいい人で、俺が一人で留守番できる年齢になるまでずっと面倒見てくれてた。

それから特に面白いことも無く小学生になって、なんか全国一斉IQテストみたいなのやらされて
その結果が半端なかったらしくどっかのお偉いさんに東京まで呼ばれて、他に全国から呼ばれた子供達と一緒に1泊2日でテストとか模擬授業とかやらされた

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その後「ぜひうちの学校に」と東京のなんか有名な学校の校長から言われたらしいが、母が猛反対しておじゃんになった
理由は俺が「友達と離れたくないから」と言ったかららしい、まったく記憶に無いけど。
母親はそれくらいいつも俺の意思を尊重してくれてた。
駄々を捏ねたら叱るけれども、夕飯のおかずとか休日行きたい所とか聞いてきて、
俺が希望を言うとそれを必ず叶えてくれた。
仕事ばかりで俺にかまってあげられなかった分を少しでも補いたかったらしい。

そのまま地元の中学校に進学した俺は、友達に誘われ放送部に入った。
2年、3年の部員は居なく、俺らの学年で誰も入らなかったら廃部だったらしい。

結局俺と友達の他にも3名入部し、廃部は免れた。
昼の弁当の時間に音楽を流したりするだけの部活だったが、
その面子で勝手に放課後に放送室に集まってトランプしたり、音楽聴いたりしてなかなか充実していた

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