【涙腺崩壊】18歳という若さで散っていった特攻隊員が家族に遺した遺書に涙が止まらない!その衝撃の内容とは・・・

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1943年ごろから開発が進められた特攻兵器

特攻と言えば最も知られるのは神風特別攻撃隊。初めての特攻は、1944年(昭和19年)10月17日に行われています。

しかし日本海軍では1943年7月頃から特攻の研究が始まっていて、1944年2月には人間魚雷・回天の開発が開始されています。

人間魚雷回天は超大型酸素魚雷「九三式三型魚雷」を改造して作られました。

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実は開発当初は脱出装置をつけることが条件とされていました。しかし開発が難しい脱出装置は断念され、生きて帰れない特攻兵器となったのです。

回天の実物を見た志願兵は、「これが俺たちの棺桶か」とつぶやき、頭の中が真っ白になったとか。

訓練に参加したのは、海軍兵学校、海軍機関学校、予科練、予備学生などからの志願兵1,375名。

実際に出撃して戦死した者は87名(このうち発進戦死49名)で、訓練中の殉職者が15名、戦死者の平均年齢は21.1歳という若さでした。

そんな人間魚雷回天の特攻隊員の一人が、出撃3時間前に母にあてて書いた遺書があったそうです。

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